【山王宮日吉神社】

山王社の起源説はいろいろとあり、其のいずれもが平安期までさかのぼり、江州坂本より勧請されたとものとある、大己貴命・大山咋命の二柱をお祀りし、国造りの神であるところから宮津藩守護神として歴代藩主の厚い崇敬を受けた。

境内には七社の神社があり延基式内社として、千有余年の歴史を持ち、旧城下においては最古の神社で主命、小彦名命をお祀りし、宮津西町の氏子とされている。


江戸時代に入り、歴代宮津藩主は山王宮を宮津の総氏神として藩の守護神とします。ご本殿や幣殿、そして神輿や石灯籠まで藩主により再建、造営され神域中心に主神として祀られます。それにともない式内・杉末神社は摂社として宮津西地区の守り神となります。江戸中期の文書では宮津の城下のほぼ全てが山王宮の氏子であるとされていますが、そうした中で続いてきましたのが例祭である山王祭です。
藩祭とされた山王祭は城下上げての大祭で武家、町民挙って参加し宮津祭と呼ばれる所以です。

山王宮日吉神社は宮津を統一する総氏神として城下町衆と共に様々な伝統儀式を執り行って今日に続いて来ました。宮津の町と山王宮は一体となって城下町独特の素晴らしい鯔背な祭文化を形作ってきたといえます。現在でも毎月初めの1日、また例祭日と同じ15日には月次祭が執り行われ、宮津の平安を祈る儀式が変わらずに続けられています。

府指定文化財・檜皮葺の本殿
貞享五年(1688)宮津藩主・永井尚長により再建。

【漱玉亭跡庭園】

宮津城主京極高廣は天保四年(1647)に社を下の段に移して跡地に茶屋を建て、その後、茶屋は取り払われたが永井尚長は再び普請を起して、永井家の霊を祀り別荘を建て、永井氏改易ののち荒廃したが、次の奥平昌春は元禄一五年(1702)に再び社殿を現在地に戻した。

境内北西に泉水を取囲み、山麓には巨石を配して滝を作った一郭がみられるが、この庭園を造ったのが京極高廣で、山王社家牧氏は居室の近くに一亭を構えて漱玉亭と名づけた。

宮津総氏神また宮津藩の守護神として、本殿右隣にある式内摂社「杉末神社」と共に平安時代から続く神社です。社記によれば平安後期に現在摂社である杉末神社境内に勧請されたとあります。 杉末神社は赤ちゃん初土俵入が行われる神社ですが、平安時代初期に記された延喜式神名帳に宮津で唯一登載されている宮津最古の神社で、宮津の地に人々が住み着いた遙か昔から、宮津の守り神として崇められてきました。宮津(宮のある入り江)という地名の由来となった神社です。

【日吉神社摂社杉末神社本殿】

【日吉神社末社船魂神社本殿】