京都府宮津市下世屋 落差 4 m 右の赤点の所が 龍ヶ壺です 龍ヶ壺の 上流方向です 流れて来た水は・・・・・・ まさしく壺の様な滝壷に 流れ落ちて行きます 落差は 4m程でしょうか 下へ降りようかと思いましたが 少々危険なので やめ ...

辺境地の更なる山頂に佇む、豪快な山城 下世屋城跡(京都府宮津市)

城跡は京都府宮津市下世屋にあって、渓谷といった感じのする谷沿いに人家を連ねた、下世屋集落の北西側に聳える、通称「城山」と呼ばれる標高約300mの山頂に位置しており、当時は前野半助あるいは片岡七郎左衛門の居城が伝わっている。その大雑把な形態は、険峻極まりない山頂に主郭を構え、谷沿いに建ち並ぶ集落に向かって比較的規模の大きい郭群を連ねたものでもあり、現在でも恐らく当時でも辺境の地にある事は否めないが、現在の廃校(公民館)跡からは、かつては石高を左右する小さな棚田が、西側の山上郭群に向いて無数に重なりあっていた形跡が外見からも充分窺われた。

先に触れた様に、陸の孤島とも呼べそうな辺境の地にありながらも、規模は非常に大きく、山上郭群の総全長は300mにも及ぶものであり、集落の規模を考えれば、とてもそれに似つかわしくないもの、あるいは文献資料などには決して登場もしない前野氏には、とても分不相応な城跡と言えそうに感じられたのである。ただ一色氏一族が普請に拘った山城であれば話しは別になるが、、、 形態は直線的に繋がる痩せ尾根を地形に任せて削平し、更にその郭外壁や郭境は全て切岸化し、尾根上を二本の堀切で断った、シンプルが故に分かり易い縄張りプランとなっているが、特筆すべきは郭壁に石垣が使用されている事であり、この険峻極まりない築城環境も含めれば、非常に要害堅固な山城と目には映ったのである。この石垣跡に関しては、僅かに地表に露見しているだけではあるが、現状下草の蔓延る中で何とか目に留まった箇所、あるいはまとまった形で残存する石垣跡(余り見応えは感じられないもの)だけを概念図には示した。まだ探せばいくらでも見つかりそうには思えたが、郭内や斜面に残る崩落石の多さも考慮すれば、郭壁は全て石垣で覆われていた様な気がしなでもない(推察)、、、