宮津祭り(山王宮神社)

 山王宮日吉神社の例祭「山王祭」の別名として用いられてきた名称で、「山王祭」は江戸時代には宮津藩祭とされ、武士もその行列に参加していたそうです。

歴史 

江戸初期、宮津藩主・京極侯の正保年中 (1644 ~ 47)、それまで行われていた波路御旅所迄の山王宮神輿渡御が暫く中断され、日吉の神の使いの猿にちなみ、延宝2年 (1674) 四月中の申(サル)の日に復興し、元禄時代に入ると神輿巡幸を中心とした祭礼で、江戸中期には藩主・青山侯の時代の中で藩祭「宮津祭(山王祭)」として繰り広げらます。

 

参勤交代による城主在城の年は大祭として、江戸在中の年は小祭として、大祭の年は神楽の後の行列に宮津藩より槍二十本、馬二匹が加わり、各町の山屋台や芸屋台の子供歌舞伎、神輿そして浮太鼓が繰り出す豪華な祭となっていった。

その後、藩主となった本荘侯は7代にわたり城主を務め、宮津祭には城の大手門、波路門を開いて祭礼行列の通行を許し、藩主は城内で見物して褒美を取らせたそうです。

宮津祭は、郷土芸能である「浮太鼓」、そして伊勢神楽の流れをくむ「太神楽」などが行われます。

 また、昭和初期まで宮津祭は「芸屋台」とよばれる山車を繰り出す曳山祭でもあり、江戸時代後期の「山王祭礼図絵馬」には城下各町が繰り出した26基の山屋台・芸屋台が描かれており、現在では宮本町「万歳鉾」のみが不定期ですが巡行して子供歌舞伎を披露しています。

 

 

  浮太鼓 

浮太鼓(うきだいこ)は笛と締太鼓で打ち鳴らされ浮とはうかれるとのことで、もともとは浮太鼓は笠鉾を立てた下で担いだ太鼓を打ち鳴らしますが本来の笠鉾の下で打つ浮太鼓は、5月15日朝の山王宮神幸祭の中で再現され現在も漁師町では厳格に技が伝えられ、これを無形文化財に指定されました。 

太鼓を屋台に乗せて町内を巡行する現在の形は寛政10年 (1798) より始められたものです。

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